それぞれのナンバー、それぞれの物語:F.C.C. TSR HONDA FRANCEのための「1」
F.C.C. TSR Honda Franceは様々な分野で1位を獲得している。藤井正和氏が監督として率いるこのチームは、ルマン24時間レースで優勝し、表彰台を勝ち取っただけではなく、FIM EWCタイトルを獲得した最初の日本チームでもある。
F.C.C. TSR Honda Franceの長い歴史は、ホンダ自体の歴史にも密接に関係している。テクニカルスポーツは、1963年、世界GPでホンダのファクトリーライダーとしてキャリアを積んでいた藤井璋美氏によって誕生した。彼の友人でもあった本田宗一郎氏から援助を受け、ホンダが建設したばかりの鈴鹿サーキット近くにテクニカルスポーツを設立し、レーシングバイクのスペアパーツを製造していた。1984年、息子である藤井正和氏がTSの総指揮を引き継いだ。
鈴鹿での初優勝
1988年は、Technical Sportsのレーシングチームにとって、極めて重要な年となった。彼らは、鈴鹿を拠点とするスペアパーツ・クラッチパーツメーカーであったF.C.C.と提携し、鈴鹿4耐で初優勝を飾った。F.C.C.とのパートナーシップは、30年以上にも及んでいる。
1990年、TSは鈴鹿8耐に小林敏也選手、上田昇選手のライダーラインナップで初出場し、26位で見事に完走。それ以来、鈴鹿8耐のスターティンググリッドには、毎年名前を連ねている。
1991年、テクニカルスポーツはTSR(Technical Sports Racing)に改名し、上田昇選手とともにGP125チャンピオンシップに参入。更なる高みを目指した。参戦を開始したこの年、鈴鹿で行われた日本GPでは優勝を果たし、ランキング5位でシーズンを終えた。その後の10年間、F.C.C. TSRは、GP250とGP500でレースを続けた。
F.C.C. TSR Hondaは、鈴鹿8耐にも毎年出場を果たしている。2003年、伊藤真一選手と辻村猛選手のライダーラインナップで初の表彰台を獲得し、2006年には同ラインナップで初優勝を成し遂げた。 そして2011年と2012年には、再度、鈴鹿8耐での優勝を果たしている。2003年以来、合計6度の表彰台を獲得している。
世界耐久選手権タイトルへの探求
F.C.C. TSR Hondaはその後、鈴鹿8耐と日本を飛び越えて世界に飛躍することを決意。2016年、チームはFIM EWCへのフル参戦にサインし、その年のルマン24時間レースで、 渡辺一馬選手、アラン・テシェ選手、ダミアン・カドリン選手とともに価値ある3位を獲得した。そらに、次の2016-2017FIM世界耐久選手権では、総合4位に輝いた。
F.C.C. TSR Hondaは、2017-2018シーズン中に、ホンダのフランス子会社とのパートナーシップを確立し、その後はF.C.C. TSR Honda Franceという名で知られるようになった。彼らは、ルマン24時間レースとオッシャースレーベン8時間耐久レースで優勝、そしてFIM EWCワールドタイトルを獲得した。それは、F.C.C. TSR Honda Franceにとって、初の世界メジャータイトル獲得となった。
2018年ボルドールでジョシュ・フック選手、フレディ・フォーレイ選手、マイク・ディ・メリオ選手のライダーラインナップと共に優勝を果たしたF.C.C. TSR Honda Franceは、2018-2019シーズンで準グランプリを勝ち取った。F.C.C. TSR Honda Franceは、もう一度世界タイトルを獲得するために探求を続けている。
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写真:2019年オッシャースレーベン8時間耐久レースより